きょうみあること

個人が集団に溶けちゃうことに今きょうみある!
高度経済成長期に大衆が生まれた。大衆はひとりひとりの集まりなんだけれども、いろんな人が集まったひとつのベクトルなので、一人の人が大衆を代表することはできない。大衆は実体のないもやもやしたおばけみたいなかたまりである。
しかしほんとうに実体がないわけじゃなくて、中には人がいることを忘れないようにしないと、集団の中の人がしたことの責任が消えちゃう。戦争とかもそうかもしんないけど。ぼくの大好きな青髭で、女の子を孕ませた青髭はだれか個人じゃなくて、この新宿という街なのです!ってさぁ、現実はそうじゃないじゃん。
ALWAYSは多分ノスタルジーっていうもやもやで高度経済成長期をくるんでる。ノスタルジーは傷つけたことを忘却させていい思い出化させちゃうからダメって私の先生は言ってた。俺も昔はゲバ棒振り回したもんさ〜みたいな?まぁ私は傷つけたことを忘れたい気持ちもわかる。
就活ではみんな個が埋没しちゃって就活生Aになっちゃうのでそれはだめよーって言われる。
あとほんとに溶けちゃうのが人類補完計画。ニコニコのタグに人類補完計画=精神の社会主義化って書いてあってかっこいいなーと思った。
2ちゃんとかニコニコとかをする人も大衆ってかんじだなー。匿名という要素が加わっている。でも2ちゃんとかは匿名を方法に取り入れてるけど、ほかでも大衆は匿名の存在ではないかしら。
自分は全っ然エリートじゃなくて大衆だから、自分の生き方として大衆のありかたを考えたい。目指す方向は誠実な市民てかんじなんだけど。