風立ちぬの感想その3

「風立ちぬ」について思ったことをまたまた書きます。
わたしはあまり反射神経がよろしくないので後から後から思ったことがわいてきます。観てから時間が経ってしまい、自分の中で歪めて記憶しているところがありましたらすみません。

書いていなかったのですが、「風立ちぬ」終盤を見ている最中、正直なところわたしの頭に浮かんでいたことは「ワークライフバランスって大切!!」ということでした。
この受容は正解ではないとは思うけれども、今のわたしはついそう感じてしまいました。それを書くのを避けてすませていたのが、やっぱりなんだか気分がおさまらないので書き記してしまいます。

仕事もがんばって、パートナーも大切にするのってすごく難しい。
菜穂子の結核という、かつて当たり前にあった致死の病に対してわたしはぴんとこないし、「わたしと仕事どっちが大切なの?」というあるあるなせりふも菜穂子は言わないので、なかなかどうにも気持ちをわかりかねます。
二郎の、美しい飛行機を追い求める天才、というところもまた自分の物差しでははかりかねるけれども、会社で仕事をする様子だったり、夫が仕事を家に持ち帰って忙しく妻を省みない様子は、自分の周辺の問題に引きつけて受け取りました。だからラブシーンはなんだか昔の話という気がしなくて生々しくどきっとしてしまいました。

他の方の感想で、二郎はクズ、というのをちらっと見たのは、強く驚きを覚えました。
クズという言葉が一般的には自分が思うより結構ライトに使われているのだなとも知りました。クズを自称する人もわりといるようなので、人間のクズという表現も、ダメなやつぐらいのニュアンスで使われているのだ、わたしにはちょっと刺激が強すぎます。
病床の菜穂子の傍らで仕事に没頭し、ついたばこを吸ってしまう二郎は、決してよろしくはないけれども、例えばデート中に仕事の電話がかかってきて全然相手にしてくれないみたいなシチュエーションのものすごくハードなバージョンとわたしは受け取りました。

そして、二郎がエゴイスティック、という感想に対しては、わたしもまた二郎に似たところがあるなと思います。
わたしは幼い頃から、「苦しんでいる人々に少しでも何か助けになることをしましょう」と指導されて育ってきました。
弱いものいじめはやめたまえと止める幼い二郎、貧しい子ども全体のためにならないのに目先の親切心でシベリアをあげようとしてしまう二郎の気持ちはとても理解しやすいし、本庄や妹がそんな優しさは自分勝手だとたしなめるのもとてもよくわかります。
わたしはエリートではないのに、日本が世界的に見て豊かになって大衆の時代となり、かつてエリートが背負っていたような心苦しさを共有するように育ちました。
そして仕事と家庭の両立に関してまだまだ途上な世の中全体の風潮の中にいるし、しかも上向きの景気というものを知らず、汽車に乗れないで線路沿いを歩く人々ではないですが、安上がりの暮らしをしたがってしまい、若者のなんとか離れとか言われる、そういう悪いとこどりみたいな面があるのかもしれないと思いました。

二郎は責められるところのある人物であり、そこを見つめると、自分にも刺さる、クリエイターでも天才でもエリートでもなくても刺さったのでした。
それでいて、菜穂子が二郎にあなたは生きてと語りかけた時、わたし自身は、クリエイターでも天才でもエリートでもないから、どうすることが生きていると言えるのか見当がつかなくて、「生きねば。」というコピーも受け取りかねています。
この話では、ただ生きている、ということが肯定されているわけではない。それなのに、お前は魔の山にいるのだという非難は刺さる。
わたしは二郎の負い目に思いを馳せられても、肯定感を共有することはできない、居心地悪さは最後に残りました。

映画館で見終わった後、涙をハンカチで抑えていた宮崎駿と同世代ぐらいのおばあさんや、せつないーというようなことを言っていた中学生ぐらいの子たちはどのように受け取ったのかな。よかったとか、悪かったとかに集約されるにせよ、さまざまなニュアンスの受容があるでしょう。たくさんの人が観る映画は、「正解」の見方が固定される前にまず受け取ったところをしつこく書き記しておきたいと思いました、次見た時にはわたし自身も全然違う感想を抱いているかもしれません。

(さらに追記)
上の感想を書いて読み返してみて、ようやく自分の中で腑に落ちるところまでいったので、その内容を字にして以下に書きます。

「ひこうき雲」に、「他の人にはわからない」とあるように、わたしは菜穂子のしあわせをわからない側の人間です。
そういうわたしが「あなたは生きて。」「生きねば。」という言葉を自分の問題として考えたときに、「ワークライフバランスを大切に生きたい」という思いが浮かび上がってきました。満足のいく仕事をし、楽しい家庭をつくり暮らすことが今の自分の理想なんだけれど、到達には相当なギャップがあります。
美しい飛行機を作りたい、という二郎の理想に比べると、それは理想というにはずいぶんつまらなく見えるかもしれません。
また、この作品の人物達も作り手も誰も「ワークライフバランスが大切だ」というメッセージを発している人はいません。
だからこの思いは映画の感想としてはパブリックなものではないというか、不正解と強くわかっていて、なかなか書くことができないでいました。
けれども「他の人にはわからない」としても、今の自分にとってはこの映画を見たことでより自覚された重要な問題である、と感じられてきて、自分のために自分の日記にはっきり記しておこう、と思ったので、書きます。