連続講座 書物の達人 丸谷才一@世田谷文学館

※むちゃくちゃに長いエントリです。
もう二ヶ月以上前になりますが、丸谷才一についての連続講座が以下のように予定され、全五回のうち初めの二回に行ってきましたよ。
  • 6月23日(日) 湯川豊(文芸評論家、エッセイスト) 「『持ち重りする薔薇の花』そして遺作について」
  • 6月30日(日) 鹿島茂(仏文学者、明治大学教授) 「官能的なものへの寛容な知識人」
  • 7月6日(土) 関容子(エッセイスト) 「『忠臣蔵とは何か』について」
本当は全部行けたらよかったんだけど、肉体的にも知的にも体力がとてもおいつかないと思って控えました。
世田谷文学館での村上春樹についての連続講座の内容を書籍化した『村上春樹の読みかたも、タイトルはトンデモ謎解き本に埋もれそうであれだけどすごくいい本なので、ぜひ本講座も書籍化され、ゆっくり何度も読めたらなぁと希望します。
そして、第二回の湯川豊氏は具合を崩され、声が出ないということで、急遽世田谷文学館館長の菅野昭正氏が急遽ピンチヒッターを務められました。その内容もすごく良くて、思わぬ収穫でもあったのだけど、湯川氏といえば、丸谷氏晩年の聞き手を務め、『持ち重りする薔薇の花』に登場する語り手と聞き手が丸谷氏と湯川氏を思い起こさせるのですよね。
(丸谷氏が、自分の小説にモデルはいない、ということはかねがね言っていますけど。 参考リンク:丸谷才一『持ち重りする薔薇の花』|書評/対談|新潮社)
ぜひ話すはずだった内容を本に収めてもらいたいなあ。
以下に講演の内容等を自分用にメモします。

※メモを取り損ねたのでとりわけ印象に残ったところを書きます。

手書きレジュメが配布され、「丸谷才一の、戦争と国家に関わる小説」リストアップ、論文「徴兵忌避者としての夏目漱石」(1968)、「徴兵について考える映画」のリストアップ、「徴兵について考える小説」のリストアップ。

丸谷氏は山形県鶴岡市、庄内藩の生まれで、庄内藩というところは、戊辰戦争会津藩とがっちり組んでいたから激しい薩長ぎらいの風潮があった。丸谷氏のおばあさんは、戦争(世界大戦)なんて薩長が勝手に始めたんだと言っていたという。

そんな風土もあって丸谷氏の兵隊嫌いは根っからのものであり、徴兵体験が作品に多大な影響を与えている。

絶対に民営化できないもの、それは軍隊と警察と税務署だといわれるが、軍隊はそのように国家というものと分かち難く結びついているのであり、丸谷氏は国家、徴兵についての批判意識を常に持っていた。

わたしは『たった一人の反乱 (講談社文芸文庫)』が大好きだから、「反乱者」のひとりとして、昭和史といえば川本氏が1960年代後半~70年代前半について語るのかなぁと勝手に予想していて、そういう独りよがりな期待とは違った、太平洋戦争の時代にフォーカスを当てた内容でした。けれども庄内藩の時代から太平洋戦争に至る歴史というものをわたしは全然考えられていなかったので(歴史がむちゃくちゃ苦手)、狭い視野を広げてくださったと思います。

川本氏が、こんなに悲惨な戦争の歴史がありながら、戦争にまた向かっていくかのような最近の風潮、今の若い人は何を考えているのか、というようなことをおっしゃっていたのは、えー!?それは違うでしょ、と思いました。

最後に、川本氏が『マイ・バック・ページ』を発表した時、丸谷氏が激賞したことが大変励みとなり、のちに読売文学賞を川本氏が受賞した際、選考委員の丸谷氏に「『マイ・バック・ページ』を褒めてくださって、あの時は本当にありがとうございました」と長年の思いを伝えたところ、丸谷氏は「だって僕は、『笹まくら』の作者なんだよ」と答えた、というエピソードが披露され、わたしはその話を聞けたのがとても良かったです。

  • 菅野昭正氏の講演

レジュメには『エホバの顔を避けて (KAWADEルネサンス)』の終章の最初と最後の引用と、丸谷氏が翻訳を手がけたジョイス『ユリシーズ』の終章の最初と最後の引用のコピー。

丸谷氏との出会いは昭和28(1953)年4月20日ぐらいに國學院で、菅野氏はフランス語の非常勤講師、丸谷氏は英文学の専任講師でグレアム・グリーンを研究していた。よく麻雀をしたものだ。丸谷氏が信田一士氏、中山公男氏と同人雑誌「秩序」を立ち上げ、菅野氏もほどなく加入することになった。丸谷氏初の長編小説『エホバの顔を避けて』は「秩序」に連載された。

『エホバの顔を避けて』は旧約聖書のヨナ書に題材をとっている。神がヨナにニネベ(アッシリア*1の首都)に行き、人々を弾劾しなさい、このままではニネベは滅びると命令する。ところがヨナは使命に背いて東へ逃れる。

古代アッシリアの生活描写が具体的で、ヨナに靴屋という職業を与えたり、アシドドという夫のいる娼婦ラメテとヨナの恋愛話を盛り込んだりする工夫がなされ、現代小説のようにわかる作品となっている。

なぜ丸谷氏がこの小説を書いたのかを菅野氏はこう推測する。

丸谷氏が傾倒していたジョイス『ユリシーズ』はホメロスの叙事詩を枠組としている。エリオットは、ジョイス版ユリシーズを評したエッセイ「ユリシーズ、秩序、神話」(「秩序」というのはここから取ったのかもとのこと)で、神話を用いることで、現代と古代との間に持続的栄光を置くと書いた。現代史という空虚と混沌に満ちた広大な展望を支配し、秩序づけ、意味と形を支える手段にできる。

ユリシーズ』はダブリンを舞台にした一日を描く現代小説で、意識の流れ、内的独白という20世紀の新しい手法を取っている。丸谷氏は若い頃訳し何度も改訳した。

(こぼれ話:丸谷氏の奥様は、いい訳ができると、夜中でも起こされて才ちゃんに聞かされたわよ~と言っていた。才ちゃんて呼ぶのかわいいねとわたしは思った)

『エホバ~』と『ユリシーズ』訳は古典に題材を取るだけでなく終章の表現形式(意識の流れ、締めに書いた場所と年月を記す)も共通している。

丸谷氏は徴兵された最後の世代であり、戦争体験を基盤に本作を書いたと推測される。ニネベの町の混乱は戦時中の町の寓意であり、神=超越的良心が「ニネベはこのままでは滅びると言いなさい」とヨナに/「戦争は良くないと言いなさい」と丸谷少年に命じる。しかしヨナは神の顔を避け、丸谷少年は徴兵される。本作に添えられた解説で松浦寿輝は本作と戦争とが結びついていないようだが、暗黙のうちに戦争批判をするという主題は明白である。

丸谷氏は声が大きいので有名だったが、「大事なことは小さい声で言う」、大切なことこそ声高にではなく小声で言うことで伝えるという考えを持っていた。

本作では戦争批判が語られているのだ。

これは徴兵忌避をテーマとした次作『笹まくら』へ連続していく。

明治三年、徴兵令により近代的軍備が開始された。最初のうちは、長男、貴族層、役人は免除で、代人制と言ってお金を払って代わりの人に行ってもらうことができた。

明治二十七~二十八年の日清戦争まで、北海道と沖縄の人は徴兵の対象外という一種の差別があり、夏目漱石が北海道に戸籍を移したのは徴兵逃れのためであると丸谷氏が主張したとき、大きな論争を呼んだ。

丸谷氏は『たった一人の反乱』(1972)で多くの読者を獲得する。1968年~70年ぐらいを舞台に、主人公馬淵(45歳で当時の丸谷氏と同年代)は通産省の役人であったのが防衛庁出向をやんわり断って電機会社に就職する。いわば公務員の反乱。

馬淵の後妻ユカリは元妻が使っていたベッドを使うのは嫌だと夫に反乱を起こし、ユカリの祖母は刑務所帰りで国家に背いた存在であり、ユカリの父は大学の先生だったのが教授会に造反する。当時の全共闘運動を撮るカメラマンというのも登場する。

『たった一人の反乱』はたくさんの実らない反乱を描いている、過激でなく悪く言えば自己満足、虚しく終わるが、自由を生きているとも言える。

フランスの哲学者アラン『権力に反抗する市民』に通じている。

『裏声で歌へ君が代』では国家と個人的自我の問題を描くなど、丸谷氏の作品には常に自由がテーマとしてある。最初から最後まで戦争体験批判、国家批判がある。

遺作「茶色い戦争ありました」は4つの短編連作『思へば遠くへ来たもんだ』の一つとして構想されていたと考えられ、遺されたメモにはハイドン、豆腐、ゴシップ、中原中也とある。昭和二十年八月十五日の上り列車の中が舞台で、「きみは」という二人称小説。それから現在へ話は移り、旧制高校の同窓会で文集を作ることになって回想録が書かれたのだとわかる。

丸谷氏は、新しい時代の風俗を見ながらその中に戦争のことを書く、今の人間がどういうことを考えて生きているかということを書く「精神風俗」を標榜していた。

吉行淳之介との対談で、それはいわゆる風俗小説ではなく、イギリス風の精神風俗のことだと語っている。

  • 感想など

わたしは、高度経済成長期、60年代末を表現した小説、市民社会を描いた作品として、『たった一人の反乱』が大好きなのだけれど、丸谷氏の戦争批判についてもっと意識して各作品を読んでいきたいと思った。

文藝春秋から刊行予定の丸谷才一全集全十二巻のおしらせを頂いたのだけど、第四巻に予定されている「裏声で唄へ君が代」というのは、「裏声で歌へ君が代」が正しいのではないかという疑問がわいた。

講演にいらしていた方々は年季の入ったベテランの文学少年少女ばかりですこし肩身の狭い思いでした……。でもわたしみたいな、ほんの少ししか本を読めないやつでも、丸谷さんの小説ってめちゃくちゃ読みやすくて、村上春樹と並ぶぐらい読みやすいと思ってて、そういうところが大好き。わかりやすくて、わたしみたいなペーペーが社会の中でいろんな葛藤を持ちながら生きる、というときに丸谷さんの小説がすごく支えてくれている。

世田谷文学館のある芦花公園というところに行ったのは初めてで、なんだか異常に自然に豊かな感じのするところでものすごく驚きました。東京でも自分の知ってるような下町っぽさはなくて、わかりやすく成金ぽいゴージャスな感じでもなく、徳富蘆花ゆかりの地でもありただ何気なく文化と緑とお金が豊富にある感じで、こんな町には初めて行ったからとてもびっくりして圧倒されました。ありあまる富。でも少し行った隣駅との間には環八のドンキが見えてロードサイドな感じでコントラストがすごかったです。

*1:今のイラク