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日本文学史 古代・中世編/小峯和明 編著

日本文学史 古代・中世編

日本文学史 古代・中世編

この本は大学の日本文学史の授業で教科書として使われたりするのでしょうか、専門の研究者たちが領域ごとに章立てして説明してる中で、編著者の小峯先生の文章がむちゃくちゃかっこうよくて、射抜かれてしまいました。まだ読破してないにもかかわらずわたしの今年の一冊です。
「序章 古代・中世文学の世界」の冒頭のところを引用します。

文学の中身を一言でいえといわれれば、それは「うた」と「ものがたり」に尽きるであろう。愛する人へのせつない想いや亡くした人への悲しみの想い、あるいは喜びや浮かれるような楽しい想い、労働などつらい苦しみなどなど、思わずうたわずにいられない、もしくはうたを聞かずにいられなくなる、そういう状態になるときがある。それは個人的なものでありつつ、同時に共同体に深く関わり、時代社会や地域にも根ざし、その制約も受ける。あるいは、人はものごとの由来やいわれ、事の起こりを知らずにはいられない存在でもある。日常生活の談話をふりかえってみれば我々の話題はそういうものばかりのはずである。人間は始源にとらわれた生き物だといってもよいだろう。そうした事の始まりを説いて語る、それが「ものがたり」の始まりである。

ああわたしは文学、とりわけ「うた」が好きなんだなあと思いました。本を全然読まないから文学好きとは到底名乗れないけれども、わたしもまたうたわずにはいられないし、うたを聞かずにはいられないときがある。そして自分が生きていく中で浮かんでいる考えはいつも事柄を「ものがたり」に整理することで形作られたものである。
たとえば今年でいえば「あまちゃん」の「うた」と「ものがたり」両方がわたしを魅了したんだなと腑に落ちました。
わたしは本でもまんがでも音楽でもなんでも、好きだな!!と心を揺さぶられ、どういうところが好きなんだろう、と後からポイントを探して腑に落ちることの繰り返しをしていて、じつはその心の働きの中に「うた」と「ものがたり」がひそんでいるんだというのがわかって、なんだかとてもうれしいような気持ちになったのでした。